こんにちは。
saiga(さいが)と申します。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
ブログサイト「さいがのすみか」を開設して2週間が経過しました。
おかげさまで、何とか毎日更新できています。
本日は自己紹介代わりに、私の半生を振り返りたいと思います。
少し長いですが、お付き合いいただけると幸いです。
少年時代の思い出
少年時代は三重県の田舎で過ごしました。
当時はバブル全盛期。
小学校で先生が「日本はアメリカを抜いて世界一の経済大国になりました」と言う時代でした。(ただその先生はそう言った後で「アメリカの経済は地面を歩いてる。日本の経済は綱渡りだ。」と話してくれました)
当時はパソコンやネットは一般家庭にはありません。
ゲームはファミコンが出始めたころで、最大の娯楽はテレビでした。
テレビ番組は今にして思えばお金をかけている番組が多かった印象があります。
「風雲たけし城」「元気が出るテレビ」「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」など、特にゴールデンの番組は火薬と電飾がふんだんにセットに使われていました。
よく車も破壊されていました。
当時の同級生のお父さんの仕事で、一番羽振りが良かったのは大工さんだったんじゃないかなと思います。
しょっちゅう新しいおもちゃや漫画を買ってもらっていた記憶があります。
思春期を経て東京へ
高校に進学すると、将来は小説家になろうと思い始めました。
文章を書くのが嫌いじゃなかったのと、当時色々な小説を読むことにはまっていて、その世界に浸るのが本当に好きで、自分でこんな世界が作れたら良いなと漠然と考えるようになったからです。
漫画も好きだったけど、我ながら絵心が無い自覚があったので目指そうとは思いませんでした。
高校を卒業して、すぐに東京に出て、新聞配達をしながらの浪人生活を経たあと、大学(日本史学専攻)に進学しました。
イベント制作会社へ就職
部活動とバイトと時々勉強の大学生活を過ごすうち、あっという間に時間は過ぎていきました。
小説家になる夢はいつしか遠のき、学生時代に熱中したイベントスタッフの仕事と、店舗や博物館の装飾の世界で働いていた父への憧れから、広告業界へ向けて就職活動をしました。
数十社受けた結果、イベント制作会社へ就職が決まりました。
イベント制作会社では毎日深夜から明け方まで仕事をしていました。
2週間に1回くらいの割合で何かしらのイベントを捌いていたと思います。
無数の段取りの中で、企画書やマニュアル、ステージ台本や様々な備品類を制作する日々。
書類作成力とか段取り力はこの会社でものすごく鍛えられたと思います。
3年後、インターネット広告の会社に転職しました。
インターネット広告の会社に転職
インターネット広告の会社にはアフィリエイト広告を販売する営業として入社しました。
インターネット広告に初めて触れた時は衝撃的だったな。
何かしら成果があって初めて広告費が発生するなんて、イベント業界では考えられませんでした。
イベントの成果なんて、せいぜいアンケートの回収数や来客数ではかるだけで、そのイベントを行った結果、商品がどれくらい売れるようになったか、とかはまだ計測できていなかったと思います。
法人営業として企業にひたすらテレコールしてアポイントをとり、案件を受注する日々。
慣れてくるとこれが結構面白くて、毎日遅くまで仕事をしていました。
仕事への姿勢が認められたのか、入社1年もせずにマネージャーに昇進の機会をもらうことができました。
うつ病の発症
朝、起きれなくなってきました。
寝坊ではありません。
目は覚めているのですが、体が鉛のように重いのです。
重い体を引きずるようにシャワーを浴びに行くのですが、シャワーに打たれながらうずくまって何十分も動けません。
やっと少し動けるようになっても、体を満足に拭く気力も無く、ベッドに倒れこみました。
とても会社に行ける状態ではありません。
会社になんとか電話して、「今日は休ませてください」と連絡しました。
こんな日が何日も続くようになりました。
夕方になると体が動くようになるので、そこから病院を幾つもまわりました。
内科、外科、神経科・・・
どこに行っても原因は分からないと言われました。
ある日行った総合病院で「精神科に行ってください」と言われました。
精神科?
俺が?
なんで?
言われるままに精神科を訪れ、病状を伝えます。
「うつ病です。紹介状を書くので心療内科に行ってください。」
うつ病?
聞いたことあるけど、良くわからない。
紹介状を持って心療内科に行き、先生からうつ病の説明を受けました。
薬を飲むこと。
無理な残業はしないこと。
ストレスをためないこと。
良く眠ること。
話してくれる対策は、できればそうしたいけど仕事をしていると中々難しいことが多くて、すんなり受け入れられませんでした。
会社の上司にありのままを報告しました。
その後、だましだまし仕事をしていたのですが、良くなりません。
ある日、社長から呼び出され、部署替えになることを伝えられました。
昇格の話は無しになりました。
総務の一員として仕事をすることになりました。
仕事と言っても、何も分からない私は雑務からスタートです。
自分はいったい何をしているんだろう。
自分は会社の何の役に立っているんだろう。
今思えばとんでもない話なのですが、営業で会社に利益をもたらしている自信があった当時の私には、総務の仕事はとても会社の役に立っている仕事に思えなかったのです。
とにかく、少しでも知識を付けるしかない。
全てが分からないんだもの。
売上と売掛金の違いもわからない。
減価償却費ってなんだ?
現状を打開したくて、簿記の勉強をゼロから開始しました。
資格を取って、IR(投資家向け広報)の仕事を任されるようになりました。
株主への説明では営業で培った業界知識が役に立ちました。
会社の仕組みがわかってきて、経営というものが面白くなってきました。
次第に残業が少なくなり、1人に労働が偏らないように会社の仕組みが改善されていきました。
うつ病の症状が出なくなりました。
先生から「もう大丈夫ですよ」と言ってもらいました。
嬉しかったですね。
挫折と帰郷
数年後、事情があって、会社を辞めることになりました。
「事情があって」ってこういうところに使うんですねってくらいの事情です。
転職した先が結構ストレスが溜まる職場で、うつ病が再発してしまいました。
ここから幾つか職場を転々とすることになります。
行く先で仕事がうまく行きかけても、直ぐに体調が悪化します。
結婚していましたが、妻とは離婚することになりました。
仕事も解雇されて、私は全てを失いました。
肉体的にも精神的にも、とても仕事ができる状態ではありませんでした。
三重県に帰ることにしました。
これからのこと
実家に帰ってから地元の病院に行き、今までの症状を伝えました。
医師は気まずそうに伝えてくれました。
「saigaさんはうつ病ではなくて、双極性障害Ⅱ型という病気です。言いにくいのですが、うつ病の薬と双極性障害Ⅱ型の薬は違います。」
え?
そうなの?
確かに東京の病院でも「双極性障害Ⅱ型の気があるかも」とはチラッと言われたけど、薬が違うなんて言われなかったな。
「薬の種類と数を大幅に変えます」
その日から今まで7種類あった薬が2種類になりました。
当然、量も大幅に減りました。
うつ病と双極性障害Ⅱ型の違いは医者でもわからないことが多いらしく、今回のようなパターンは珍しくないとのことでした。
あらためて、自分がどんな病気を持っているのかを確認して、日々を生活していくことになりました。
あれから1年以上の療養生活を送り、少しずつ体調は良い日が多くなっています。
私は本当に運が良いと思います。
とっくに路頭に迷っていてもおかしくありませんでした。
帰る実家があって、今も生きていられる。
とんでもなく運が良いんだと思います。
東京から三重県に帰るとなったとき、言葉をかけてくれた多くの友人たちや家族からの言葉は本当にありがたかったです。
特に、私の病気を理解して、実家に帰ることを許してくれた両親には本当に感謝しています。
これから先、具体的にどうしていくかを考える中で、自分のために人生を生きる羅針盤として少しずつ文章を書いていこうと思い、この「さいがのすみか」を立ち上げました。
広告業界での経験を踏まえてメディアのこと、自分が好きなお笑いのこと、大切にしていきたい健康のことを主に綴っていくつもりです。
皆さまにお付き合いいただけると幸いです。
ここまで長々と読んでいただき、ありがとうございました。
これからも、「さいがのすみか」をよろしくお願いいたします。